6月19日 「JALバーゲンフェア」で買った航空券で鹿児島経由徳之島に行くべく羽田に。でも九州
西部には台風6号が居座っている。果たして日本エアシステムの長崎行きは欠航、その
他九州、四国、中国方面は皆他の空港に代替着陸するか羽田に引き返すかの条件付
での運航であった。
鹿児島行きも同条件。東京周辺は快晴だが、殆ど雲の上を飛ぶ。1時間40分後、鹿児島
上空に到達。1度着陸を試みるも激しい風で失敗、再び高度を上げる。強風で機体が
揺れる。丁度座席が翼にかかっているので、風で翼がしなっているのが見える。安全
とは分かっていても不安感を煽られる。
30分くらい鹿児島上空を旋回し、天候の好転を待ったが諦め、羽田に引き返す事に
なった。羽田には8時に出発してから約4時間後の正午近くに到着。払い戻し窓口に乗客
が殺到する。旅行を中止して払い戻す者、後の便に期待を託して振り返る者、私は全体の
日程自体を後にずらした。今回のハプニングは20日まで社員の身分なので大人しくして
いろ、との啓示だろうか。

順番を待っていると、同様に着陸に失敗した大分から戻ってきた乗客が窓口に殺到して
きた。日程を変更した航空券を手に窓口を後にする。旅館やレンタカー会社に日程変更
の連絡をする。
空港地下の「ヴィ・ド・フランス」で簡単に昼食を取り、民間駐車場に事情を話し迎えに
来て貰い、精算をしてから車を引き取る。確か今日は東京駅名店街の栄松堂書店の
鉄道雑誌のフライング販売日。車で東京駅まで行く。首都高直結の八重洲駐車場は
1時間610円するが、一旦自宅に帰って出直すよりはまし。
8月号の「鉄道ジャーナル」を手に帰宅。大荷物を手に出戻った。リベンジは22日日曜日
に行う。今度こそ台風が来ませんように。
6月22日 前の19日に欠航で行けなかった徳之島へリベンジに出発。
朝8時発の日本エアシステム鹿児島行きは9時50分に無事鹿児島空港に着陸した。
運良くスーパーシートの空席が取れ、機内では飲物のサービスにも気が付かない位
ぐっすりと眠っていた。
鹿児島は梅雨前線の影響で大雨。離島でも近場の種子島や屋久島などは「悪天候の
為着陸出来ない場合は鹿児島に引き返します。」との注意付きで出発していった。
鹿児島から遠く450キロ余り離れた徳之島行きは何も影響なく10時35分に出発した。
機内ではやはり着陸直前まで眠っていた。
徳之島空港到着 
徳之島空港は奄美大島に先駆けてジェット機が就航したが、建物自体はボーディング
ブリッジさえない簡素な構造で、典型的な離島のローカル空港と言った所。タラップを
降りると湿気を帯びた風が全身にまとわり付く。
簡素な徳之島空港の建物
レンタカーを借り、走り始める。畑と言えばサトウキビ畑。何となく沖縄を連想させる
光景である。まあ、17世紀の薩摩による琉球侵攻までは奄美諸島はれっきとした琉球
王国の版図内であったので無理もない。

「西郷南州顕彰碑」とその住居跡
途中西郷隆盛が島津久光公の逆鱗に触れ、徳之島に遠島となった際の住居跡、
亡くなってから10年以上経つが、一時期ギネスブックに「世界一の長寿」として記録を
残した泉重千代氏の銅像、太平洋戦争末期に沖縄に特攻攻撃に出る途中徳之島沖
で撃沈された戦艦大和の慰霊碑、徳之島から輩出した現高砂部屋の創始者である
横綱朝潮太郎の銅像などを見て回った。戦艦大和の慰霊碑は風雨に曝され強度が
怪しいとの事で、周囲は立ち入り禁止となっていた。


戦艦大和慰霊碑
故・泉重千代さんの銅像
横綱・初代朝潮太郎の銅像
一連の「観光」を済ませてから、スーパーに入る。沖縄でポピュラーなポークランチョン
ミートの缶詰が山積みされ、酒類のコーナーではオリオンビールが幅をきかせ、清涼
飲料水の自動販売機には沖縄限定な筈の「さんぴん茶」「ゴーヤー茶」を見かけた。
奄美諸島はなかなか注目を浴びる事はなかったが、昨年に奄美大島出身の元ちとせ
の「ワダツミの木」が「癒し系ソング」として大ヒットしてから注目を一躍浴びるように
なったが、奄美と沖縄の太いつながりはまだまだ紹介されていないようである。因み
に、奄美諸島は太平洋戦争後沖縄と同様に米軍に占領され、本土の当地から切り
離された。熱心な島民達の運動の結果、沖縄に先立ち1953年に本土復帰を果たし、
今年は本土復帰50周年を迎える。
先日インターネットで見つけた亀徳港に近い民宿に投宿。民宿と言っても、本土と
違って豪勢な料理が並ぶ訳でもなく、こちらとしても変に気を遣わずに済む。素
泊まりなので、島の中心の1つ、亀津の居酒屋で奄美大島名物「鶏飯」で夕食。
鶏飯
6月23日 「徳之島島内全郵便局巡り」に出発。
島の中心集落である亀津にある亀津郵便局から始める。丁度鹿児島からの船が
到着し、荷物が到着した所なので職員が忙しく区分をしている。郵便の窓口は一足
早く9時前から営業を開始している。貯金の窓口も既に番号札が発行され、私は4人目
であった。
私に順番が回ってきて100円を貯金する。その後車を駆使し、次々と周り100円ずつ
貯金を続けていく。郵便局の中には個人宅に業務委託している簡易郵便局もあり、
通帳に並んだ郵便局の印を珍しげに見ている。徳之島は主たる港である亀徳港が
ある徳之島町、空港がある天城町、世界一の長寿だった泉重千代氏が住んでいた
伊仙町の3つの町に分かれている。
民家の一角にある簡易郵便局。
集落にある小さな特定郵便局。
それでも開局100年の歴史がある。
徳之島町の全ての郵便局に寄り、天城町の郵便局を周っている途中でお昼になり、
宿の人が薦めてくれた山羊料理の店で昼食。店の中に入ると山羊の臭いが鼻をつく。
山羊肉を食する習慣は沖縄のそれと似ている。メニューには山羊汁、山羊肉刺身、
山羊焼肉等があったが、生憎今日は山羊汁しかないとの由。
山羊汁
その山羊汁の店
臭い消しのキャベツがたっぷり入った山羊汁はなかなかの味。美味しく全部頂く。
さあ、郵便局巡りを再開。伊仙町に入ると県道からそれた所にある郵便局が多い。
手前の郵便局で道を聞いたりしながら進んでいく。道が極端に狭かったり、未舗装
だったりして、そろそろと進んでいく。私の運転技術がいいせいで(自惚れ)車はどこ
も擦らずに済んだ。
目手久簡易郵便局
最後の手前の目手久(めてぐ)簡易郵便局で個人委託には不似合い(?)の背広姿の
若い男性がいた。14時半過ぎに最後の喜念簡易郵便局で打ち止め。徳之島の24局
を全て制覇した。尚、前の簡易郵便局の背広姿の若い男性の正体は監察官との由。
郵便局巡りを終え、ゆっくりと平土野へ向かうと途中で「沖縄そば」ののぼりを発見。
おやつ代わりに沖縄そばを食べる。ここを切り盛りしているおばさんは沖縄出身で、
ここが徳之島唯一の沖縄そばの店だとの事。
「こっちの人は沖縄そばは余り好みませんね。ラーメンが圧倒的です。」
食べている途中、おばさんがテレビを切り替える。天城町の超ローカルな話題が次々
と出てくるので聞いたら、天城町だけでやっているテレビなのだそうである。
沖縄そば
その沖縄そばの店
他にも、天城町では沖縄のテレビ(琉球放送、沖縄テレビ、NHK沖縄放送局)の3局が
映り、ラジオも聞こえるそうである。おばさんも時々沖縄に行くが船で9時間余り
かかる。でも心理的距離は物理的距離よりも近い。
宿に戻ると段々風が強くなってきた。目の前の電線が揺れている。宿のおばさんの話
では、これは梅雨明け直前に吹く風だとの由。沖縄は先日梅雨明けした。奄美の梅雨
明けも近い。おばさんから庭先に咲いていたパッションフルーツを頂く。
2泊お世話になった宿
それから夕食に出る。今度も宿の人お勧めの豚骨料理の店。「豚骨スープ」や「豚骨
ラーメン」は九州の代名詞のように聞かれるが、「豚骨料理」は初耳。鹿児島名物の
料理だそうである。
注文すると豚骨を6時間煮込んだものとおでんの具である大根、厚揚げ、昆布、ジャガ
イモが一緒に出てきた。豚骨は箸で切れるほど軟らかく煮込んである。美味しい。
脂身も煮込む過程でかなりカットされている、とは店員さんの言。
おでん風の豚骨
宿に戻ると風はますます強くなっている。明日午後に鹿児島に帰る予定であるが、
大丈夫であろうか。
6月24日 今日は徳之島を離れ、鹿児島に戻る。朝ちょっとゆっくりめに出発。途中観光名所を
2つほど巡り、奄美大島名物、鶏飯(けいはん)の昼食を取り、13時前には車を返し、
空港で時間を潰す。乗る便は15時45分発の鹿児島行きである。
徳之島の海岸線
売店で見かけるお土産はやはり黒糖と焼酎が主体。徳之島は奄美諸島全体の半分
以上のサトウキビを生産しているとの事である。余り観光ではぱっとしないが、それでも
徳之島町、天城町、伊仙町の3町を持ち、人口約3万人の堅実な島である。逆に与論島
のように観光かぶれしていないだけ本当にのんびり出来るのではないか。但し大規模
リゾート施設は全く期待出来ない。

それでも「島興し」の為、最近は特に天城町でトライアスロン大会を毎年開いたり、
シドニー五輪の女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子さんが練習で走った道を
「尚子ロード」として売り出し中である。車で走っていても至る所に「XXキロ地点」の
標識が目立った。
空港でずっと15時45分発の鹿児島行きを待つ。この空港は1日に鹿児島と奄美大島
へ各2便ずつ出て、15時45分の鹿児島行きを見送るとその日の業務は終わりである。
空港の待合室では天城町の有線テレビ(?)が流れており、役場などの広報から鹿児島・
沖縄のテレビを同時に放映していた。奄美諸島は本当に大和と琉球の中間点(緩衝
地帯?)である。
奄美大島行きのSAAB340B。
やっと手荷物検査場が開き、何のトラブルもなく搭乗待合室の中に入る。暫くして奄美
大島からプロペラ機のSAAB340Bが着陸。スポットに入りばらばらと乗客が降りてきた。
地元の用務客が圧倒的である。と、今度は鹿児島からジェット機のMD-81が着陸。
意外に騒音は低い。やはり降りてきた乗客は地元の用務客が中心。観光客は見かけ
なかった。


飛行機が到着すると自動的にタラップが下りる。
バラバラと鹿児島からの乗客が降りてくる。
乗客が全員降り、掃除のおばさんが3人で機内に入っていくと、先発する奄美大島行き
の搭乗開始。結構満員に近い乗客が乗っていった。
奄美大島行きが離陸する頃、機内の掃除が終わり、鹿児島行きの搭乗開始。鹿児島
からの出張組や地元の用務客が機内に入っていく。特に何事もなく搭乗完了。ドアが
閉まる。
鹿児島上空はまだ梅雨を引きずっており、厚い雲に覆われている。着陸の殆ど直前まで
雲海を下降していった。鹿児島空港には少し遅れて到着。バスで鹿児島市内に向かう。
それにしても、鹿児島空港は昔は市内の鴨池という所にあったのだが、現在は市街地
から50キロ以上離れており、バスで1時間、運賃は1,200円もする。これだけ離れた所に
造り、離島路線や西日本各地に直行便を持っている位発着本数も多いので、思い切って
滑走路を2本にするなどの事が出来なかったのか。疑問である。
鹿児島空港から西鹿児島駅までバスに乗る。道中眠っていた。西鹿児島の駅で地元紙、
「南日本新聞」の夕刊を買う。この新聞、部数は朝刊で40万部もあり、地方紙としては
5本の指に入る部数であるが、夕刊は僅か2万6千部しか出ていない。読んでみると、
意図的に軟派な記事が多いような感じがする。朝刊・夕刊両方を出す新聞は珍しくない
が、これだけ部数に格差があるのは珍しい。
西鹿児島駅は丁度九州新幹線の工事真っ盛りである。来年3月に新八代と新幹線で
結ばれると、この駅は「鹿児島中央駅」に改名するそうである。まあ、駅前に鹿児島中央
郵便局もあるし、いい事ではないか。元々元祖「鹿児島駅」の影は薄かったんだし。
駅舎の上部に新幹線が発着する。架線柱が見えるのが分かるだろう。
鹿児島市内に昨年開設されたYHに投宿するが、そこへ行くバスが西鹿児島駅前から
殆どなく、止むを得ずタクシーで1,000円余りを投じて行く。後で聞くと、繁華街、天文館
からはひっきりなしにバスが出ているとの由。ここの主人はかなり面白い人で、裏ネタ
を含め色々と遅くまで話をした。
6月25日 「鹿児島市電全停留所最寄郵便局巡り」に出発。
これから宮崎で行われるYHペアレント(=支配人)大会に出ると言う主人に配慮し、
早めにYHを出る。確かに西鹿児島駅方面と違って、天文館方面は朝は2〜3分おき
にバスが出ている。市電・市バス共通の「1日乗車券」を使う関係で次々と来る鹿児島
交通と林田バス(実は両社の持株会社は同じ「いわさきコーポレーション」)をやり過し、
市営バスに乗る。
鹿児島市電・市営バス1日乗車券。
降りる時に600円を払い1日乗車券を購入。天文館にあるファーストフードで朝食を
取り、西鹿児島駅前に移動して朝刊を買い、大荷物をコインロッカーに収める。
低床車「ユートラム」。結局1度も乗る機会がなかった。
実は鹿児島市内の郵便局を周るのは今回が初めてではない。1995年にも1度来て
周っているが、当時はJR・私鉄・市電などの「乗り潰し」を兼ねていたので時間が足りず
虫食い式に未訪問局が残っているので、今回全部周る訳である。当時鹿児島市内
にはYHはなく、錦江湾を挟んで対岸の鹿児島港からフェリーで10分の桜島YHに
泊まった。朝ぼんやりとテレビニュースを見ていたらずたずたに寸断された高速道路が
映っていた。そう、阪神大震災の起こったその日、私は鹿児島にいたと言う訳であった。
天気は今日も曇り一時雨。傘は手放せない。10局余りを周り、14時半頃に打ち止めに
する。怪しい天気の中、繁華街をぶらぶら歩き17時過ぎに西鹿児島駅に。大荷物を
引出し、空港行きのバスに乗る。
今日帰京する東京行きJAS最終便は19時30分発。スーパーシートの空席が取れた。
しかしながら沖永良部島から来る接続便が航路上の天候不良で大幅に遅れており、
乗り継ぎ客がいるので東京行きのこちらも影響を受けて遅れる。
1人の乗客が地上係員に食ってかかっている。自然相手なんだから文句の付けようが
ないのに。見かねた他の乗客が割って入って「怒鳴るんなら別室でやってくれ!」と文句
を言っていた。地上係員が可哀想である。
結局15分ほど遅れて出発。鹿児島を離陸する。到着も羽田の着陸ラッシュと重なり
20分ほど遅れた。