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礼文島・佐渡島・与論島旅行
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8月31日 朝4時半頃起床のつもりで眠ろうとしたが結局一睡も出来ず。それでも朝食を
しっかりと取り、薬を飲んでから5時半に車で羽田空港近くのいつもの民間駐車
場に向け出発。休日の朝だけあって道は順調。1時間足らずで民間駐車場に
到着。
今日は「JALバーゲンフェア」初日。只今回は直前に延期を決めたのでバーゲン
フェアではなく只の特割航空券。札幌までチケットレスで17,950円也。
羽田7時30分発の札幌行き日本航空で出発する。
いつもの通り手荷物検査を難無く通り抜け、パソコンを開けて日記を更新している
間に搭乗時刻がきた。機材はB747、座席はギリギリの予約だったので通路側
だった。機内は半分程度の座席が埋まって出発。機内では飲物の時間を除いて
ずっと眠っていた。
新千歳空港には定刻の9時に到着。ちょっとした空港内の探検をしてからJR快速
エアポート号で札幌に出る。札幌には10時過ぎに到着した。さっそく時間つぶしに
すすきのに向かう。途中マラソン大会があるらしく、道路が封鎖され、「道新」こと
「北海道新聞」の号外と応援用の旗が配られていた。繁華街の狸小路で「餃子
カレー」の昼食。単にカレーライスに餃子が乗っかっているものである。別に怖くも
何ともない。
餃子カレー。札幌の人は普通に食べている。
時間がまだあるのでちょっとした外出をしようと思う。幸い今回はJR普通・快速乗り
放題の「青春18きっぷ」を使っているので幾らでも出られる。太平洋岸の苫小牧
まで行ってみようと思う。途中の南千歳まで快速エアポート号が15分毎に走って
おり、しかも1時間に1本の旭川からの直通電車はパソコン用の電源プラグがある
ので300円を払って電源付の指定席を取る。このような席が他にも普及すれば
大変便利なのだが…。



朝方は晴れていた空は少し雲がかかっている。その中を札幌まで特急だった快速
電車は快走する。空が高く感じる。終点新千歳空港の1つ手前の南千歳で下車。
南千歳駅はかつて「千歳空港駅」として国鉄初の対航空連携駅として誕生した。
現在は空港拡張に伴いターミナルが移転したので新千歳空港駅への延長線が開通
し、発展的解消を遂げた。現在の南千歳駅の役割は新千歳空港と苫小牧、室蘭、
函館、帯広、釧路方面への乗り継ぎ駅に留まっている。
それでも空港の目の前にある事実は変わりなく、新ターミナルビルがホームの眼前
にある。そしてその背後には羊蹄山系と地平線が見える。丁度夕暮れ時で大変
美しい。私はいつも新千歳空港に降り立った時に見えるこの景色が大好きである。
何だか、「デッカイドー!!ホッカイドー!!」を象徴しているようで。これに惹かれて年に
何回も渡道する訳なのであるが。
南千歳から先、苫小牧行きの普通電車に乗り換える。ロングシートの通勤型3両
編成。それでも力が有り余っているようで平原を飛ばす。途中沼ノ端の駅で岩見沢
から来た室蘭本線と合流する。堂々と複線で、立体交差での合流である。夕張で
石炭を採掘していた往時には夕張の炭鉱と室蘭港を結ぶ石炭の運搬貨物列車が
ひっきりなしに行き交っていた。現在は夕張の炭鉱は国の石油重視へのエネルギー
政策の変化と安価な輸入炭の増加で完全に閉山され、今や単行のディーゼルカー
がワンマン運転で日に数往復するに過ぎない。
沼ノ端からは住宅街と倉庫街を走り抜け、苫小牧には16時過ぎに到着。約30分の
インターバルを取り、折り返す。苫小牧は現在では北海道最大の港湾都市として
成長した。主として製紙産業が盛んで、これに勢いをつけようと国が隣接する勇払
原野を「苫小牧東部開発(通称:「苫東」)」と銘打って新しい大規模港湾を作り、大
規模な工業用地を造成したが、残念ながら大失敗に終った。
又、「港湾都市」と言う割には横浜や神戸、東京、門司辺りと違って行政が積極的
に住民に港湾をPRしているようには思えない。これも同じ道内でも函館や小樽に
比べずっと新しい港湾ゆえか。函館や小樽は港湾と言う特性を積極的に生かし、
最早貿易港としての役割を終えているものの、その「遺産」で大量の観光客を呼んで
いる。
乗ってきた電車と同じ電車で札幌に戻る。途中快速に抜かれるので南千歳で快速
に乗り換える。丁度登別辺りでJR主催の「ヘルシーウォーキング大会」が開かれて
いたようで、発車直前に室蘭からの接続電車が到着すると、大量にハイキング姿の
大人達が乗ってきて座席は全て埋まり、立ち客も出た。
快速はさすがに速く、札幌には18時前に到着した。再び繁華街である狸小路に
夕食に向かう。地下鉄大通駅とすすきの駅との間を東西に横断する狸小路は札幌
の代々のトレンドを図る場所ともなっている。この通りにはメイド喫茶から場外馬券
場に至るまで色々ある。又、最近はすすきのの「ラーメン横丁」に次ぐ「ラーメン激戦
区」になっている。今まではよく味噌と醤油をブレンドしたスープが自慢の「鉄火
ラーメン・火の鳥」に通っていたが、残念ながら狸小路沿いに2店舗を構えていたもの
の今回は消えてしまった。代りに以前から続いている「初代一国堂」で札幌ラーメンを
頂く。
駅への帰りに途中コーヒーを飲んだりして、札幌駅に戻った。今夜の宿は稚内行き
夜行列車、特急「利尻号」である。札幌駅を23時02分に発車する。
札幌駅21時過ぎ。上野行きの寝台特急「北斗星」「カシオペア」、大阪行き「トワイライト
エクスプレス」は例外として札幌駅発の夜行列車は22時代から動き始める。先ずは
22時丁度発の青森行き急行「はまなす」、それから22時25分発網走行き特急
「オホーツク9号」、23時丁度発釧路行き特急「まりも」、そして私が乗る23時02分発
稚内行き特急「利尻」がしんがりを勤める。夜行列車の発車するホームにはどこも
重装備の旅行者が列をなしている。その中でも最も輸送量が大きいのが釧路行きで
あり、駅弁の販売員も立っている。こちらには似たような時間なのだがいない。
22時52分に入線。高速改良された振り子気動車のキハ285系ではなく、国鉄以来の
従来型のキハ183系。その間に1両寝台車が挟まれていて、合計4両編成。普通車
指定席が2両、普通車自由席が1両しかない。ちょっと寂しい。ドアが開くと勢い良く
乗客が車内に吸い込まれる。皆思い思いに眠る準備をしている。寝台車などと
違って酒盛りなどはなく、車内は至って静か。
札幌→稚内の指定券。
定刻に発車。この列車は道内第2の都市、旭川への最終列車を兼ねているので
自由席には恐らく旭川までの乗客が多いのではないか。すぐに放送があって、
寝台車はもうこれが最後の放送で翌朝南稚内手前までの放送を打ち切るとの事。
我らが座席車は0時を過ぎる滝川まで車内放送も継続されるし、車内灯も明るい
ままである。すっかり夜の帳が降りた札幌郊外をひた走る。
9月1日 札幌発稚内行き夜行特急列車「利尻」号は漆黒の闇の中をひたすら北を目指して
走り続ける。稚内市から一番近い「市」は150キロも離れた名寄市。稚内は一通り
の都市機能は持っているが、孤立している。
朝靄漂うサロベツ原野を走る。
ぐっすりと眠った後、気が付いたら列車はサロベツ原野の中を走っていた。既に
稲作の北限は過ぎており、この辺で作物は殆ど育たない。従ってこの辺で農家と
言えば酪農に限られる。暫くして日が私の席の反対側から昇る。新しい朝の
始まりである。やがて車内放送も再開され、後20分で南稚内到着を告げる。
利尻富士が見えてきた。
暫くすると利尻・礼文島が車窓から見え、列車がサービスの為か減速する。天気
は今日も上々。晴れていて涼しい、最高の環境である。
ずっと原野を走っていたが、突然住宅地が見え、あっけなく南稚内に到着。現在
の市街地は稚内駅より南稚内駅の方が近いので、地元客を中心に降りる。


早朝の稚内駅。
一晩の勤めを終えた特急利尻。
北へ伸びてきた線路はここで途切れる。
南稚内を出ると、すぐに旭川から寄り添ってきた国道40号線を高架橋で超え、
数分で日本最北端の駅、稚内に到着。到着してもまだ車内でボーッとしている
人も残っている。でも大半は元気に列車を降り、記念写真を撮っている。そして
改札口を出て利尻・礼文島行きの早朝発のフェリーに乗る人、(現行日本国政府の
施政権が及ぶ範囲内での)日本最北端の地、宗谷岬行きのバスに乗る人、自宅に
向かう人、と思い思いの方向に進んでいく。


道路標識はロシア語併記。
私は7時30分発の礼文島行き2番目の船に乗る予定なので、暫く散歩。近くの
セイコーマートで朝刊と飲料水と朝食を調達。セイコーマートは北海道地場の
コンビニで、北海道内ではセブンイレブンよりも遥かにメジャーである。最近は茨城
県など北関東にも進出しているが、どことなく北海道をイメージしている。元々札幌
の酒類問屋が始めたチェーン店だったせいか、酒、特にワインが充実している。又、
独自開発のプライベートブランド飲料にもコンビニにしては珍しく力を入れていて、
缶コーヒーが58円、スポーツドリンクが68円、ペットボトル入りのミネラルウォーター
が88円と格安である。他にも他のコンビニに先駆けてのポイント会員システムの
導入、広めの駐車場スペースなど独自の特徴を持っている。
稚内→礼文島のカーフェリーの乗船券。
歩いてフェリーターミナルまで辿り着いた。既に最初の船が出ているので中は
活気付いている。記念切手などを売る郵便局の臨時出張所まで開いている。
窓口で先にJTBで買った船車券を乗船券に引き換え、乗船名簿に記入。外洋に
出る離島航路らしく、ちょっと緊張する。遭難事故が起きた場合はこの名簿が公開
される事だろう。先にツアー客が乗船口に並んでいた。

稚内港フェリーターミナルと離島行きフェリー。
7時10分頃に乗船開始。桟敷の2等船室なので先ずは場所の確保が肝心である。
コンセント付きのベストの場所を何とか確保した。7時30分に出港。エンジンが
唸りを上げ、稚内市街がたちまち遠ざかる。ノシャップ岬を折り返し、外洋に
出ると船の揺れが大きくなる。礼文島まで1時間50分の我慢である。
礼文島に接近。
礼文島香深港に到着したのは稚内出港後1時間55分後の9時25分。港のターミナル
ビル前のレンタカー会社で軽自動車を借りる。車種は「日産レンタカー」で予約したの
にスズキのワゴンR。7月にお隣の利尻島に行ったが、レンタカー代が法外と言える
位高い。前回利尻島では1泊2日で軽自動車を借りたが、14,000円位取られた。今回
も1日借りるのに12,000円余りかかった上、クレジットカードは使えず現金払い。

礼文島到着。
何はともあれ、車を駆って島に飛び出す。礼文島内の郵便局は4ヶ所。すぐに終わる。
貯金と一緒に学生時代免除を受けていた国民年金の時効未成立分の払込も同時に
行う。礼文島にも1ヶ所だけだがコンビニ、「セイコーマート」があった。
島民のライフライン、郵便局。
「礼文島内郵便局巡り」が午前中にあっさりと終わり、後は観光。礼文島は島内一周
がある利尻島と違い、西海岸が断崖絶壁で集落はなく、道も殆どない。東海岸を南北
に結ぶ道はあちこちで整備工事を行っている。既に整備済みの利尻島とは差を付け
られている。空港も利尻空港は滑走路が延長され、札幌直行便が飛び観光客を満載
しているが、礼文空港は短いままでとうとう今年始めに稚内からの定員19人のツイン
オッター機を飛ばしていたエアーニッポンと北海道との第3セクター「エアー北海道」
が機体の老朽化を理由に運行を停止してしまい、礼文空港から定期便が消えた。
今は旅客便が飛ばなくなった礼文空港。



先ず礼文島最北端のスコトン岬に行く。変な名前だが、一応「須古屯」との漢字地名
が当てられている。その昔、まだ日本の測量技術が未発達の時代に「日本最北端」の
地位を宗谷岬と争った経緯を持つ。スコトン岬の沖合いには「トド島」と言われる
無人島があり、そこが争いの種となったのである。結局現在は宗谷岬に軍配が
上がり、それでも観光の目玉として売り出したい礼文島は現在「日本最北限」と
銘打って宣伝している。



スコトンバス停。
それから礼文島の観光資源は高山植物である。本来尾瀬など標高600メートル〜
1,000メートルのところに行かなければない高山植物が、緯度の高いこの島には
海岸沿いにも咲いている。夏のシーズンになれば稚内からのフェリーは連日大入り
満員でやって来る。でも現在、観光客の増加による外来種の種子の飛来等で従来の
高山植物は絶滅の危機に瀕しており、それを守るべく「高山植物培養センター」を
礼文町が設け、高山植物園を併設して一般開放している。しかし生憎先月で高山
植物のシーズンは終っており、殆どの花は落ちていた。
高山植物の群生地。



高山植物培養センター

西海岸にあった屋台で「トド肉の串焼き」を食べた際に発行された「証明書」。味は砂肝のよう。
それから稚内からのフェリーが発着する香深の町やお隣の利尻島、断崖絶壁の西
海岸が一望出来る桃岩展望台に昇る。途中までは車で、あとはひいひい言いながら
徒歩で昇る。

桃岩展望台から見た礼文島西海岸。
桃岩展望台から見た利尻富士。
メノウ海岸。
次にメノウが取れると言う西海岸の辛うじて車が入れる元地海岸とその奥にそびえ
立つ地蔵岩を見る。予定よりも早く観光も終わり、1本早い船で稚内に戻る事が
出来た。
礼文島→稚内のカーフェリーの乗船券。
稚内港には18時15分に帰着。夜行列車に乗る前に一風呂浴びようと思い、タクシー
で先ず「稚内童夢温泉」まで、と頼むが生憎今日は毎月第1月曜日の休館日との事。
それでは、と近くの銭湯まで乗せて貰う。銭湯はかなり昔の建物で、現在修繕工事
中だった。(…と言っても店主談では昭和43年築だそうだが。)中は「古きよき銭湯」
の趣があってよかった。中には富士山は書いていなかったが、琺瑯びきの看板など
がレトロな雰囲気を引き立てていた。入浴料370円也。
夕食のカニチャーハン。具沢山だった。
銭湯で汗を落としてバスで稚内駅へ戻る。時刻は20時前。駅前の食堂が開いていた
ので「カニチャーハン」の夕食。カニの実がたっぷり入っていてよかった。
それから駅近くのコンビニ、「セイコーマート」へ今夜の寝酒と飲料水の買出し。今夜
の上り札幌行き「利尻」号は寝台車を奮発してある。
稚内→札幌の寝台券。
21時45分頃列車が入線し、改札開始。寝台車はカーテンが既に閉まっていたが、
敷布と毛布は自分で敷かなくてはならなかった。そうこうしている内に発車時刻の
22時となり列車が動き出す。意外と揺れは余り感じなかった。
寝台車のエンブレム。
でも次の南稚内で対向列車とのすれ違い待ちのため11分停車。南稚内発車後に
車内放送があり、寝台車はそのまま放送打ち切りですぐに車内が減光された。
軽く寝酒を飲むと、すぐに眠りに落ちた。
9月2日 気が付いたのは札幌到着20分前の放送。浴衣から着替え、カーテンを開けると
既に列車は札幌近郊を走っていた。6時丁度に札幌駅に定刻に到着。余りにも
早朝なので、ファーストフードさえ開いていない。駅自体はこれからどこかへ行く
人々で賑わっている。
札幌到着。
ファーストフードが開くまで待合室の椅子でノートパソコンを開けて久し振りの
ネットサーフィンをする。「残暑見舞いCG」を必死になって描いている知り合いの
CG描きさんには酷だが、何時の間にか9月に入り、北海道は既に初秋の趣で
ある。気温も20度前後で収まり、湿度も低く爽やかである。これは札幌も稚内も
変わらない。

札幌駅前地下街「エスタ」の「ヴィ・ド・フランス」で朝食。それから午前中は繁華
街の狸小路周辺を歩く。途中狸小路の起点にあるメイド喫茶で休憩。
豚丼で昼食を取り、ヨドバシカメラでフイルムの補充をして15時10分発の快速
で札幌を発つ。新千歳空港には15時46分に到着した。空港の構造上地下の
JR駅から出発カウンターへ行くには必ず土産物屋街を通らなければいけない
のだが、土産物屋の売り子さんも買う方の乗客もやる気満々であった。
チェックインはJR札幌駅構内の機械で済ませていたので、荷物を預けるだけで
済む。17時丁度発JAS新潟行きはローカル線だが、元々往来は多い区間なの
で従来エアーニッポンの独占路線だったのを昨年10月にJASが参入した路線で
ある。観光客で結構込んでいるが、機材が定員160人前後のMD-81なので
たかが知れている。
このサイズの小型機は結構ローカル線中心に使われており、羽田では殆ど
見かけないが全国各地で見かける。積まれていた新聞は北九州のものだった。
今日1日、どこをどう飛んで札幌まで来たのだろう?
あっさりと離陸し、雲を突き抜ける。雲海を1時間余り飛び、着陸の為に高度を
下げると眼下には日本海が広がる。そして新潟空港に着陸。
昔は新潟〜東京線があり、日本エアシステム(JAS)の前身の東亜国内航空が
1日2便飛ばしていた。しかし上越新幹線の開通により運行を停止してしまった。
東京〜新潟を1時間半余りで結ぶ新幹線には立ち行けないとの判断だった。
でも成田の発着枠が若干広がった現在、成田行きを飛ばしたら結構乗るの
では?新潟は日本海側唯一の人口50万都市。かなりの需要があるのでは?
又、新潟は日本海に面した都市として特異な側面を持っている。例えば、最近
新聞紙面を賑わせている「万景峰92号」が北朝鮮・元山から入港するのは毎回
この新潟であるし、ロシア極東の都市とも古くから定期航空路があった。現在も
ウラジオストックとハバロフスクに定期便がある。この両都市には東京からは
直行便は存在しない。貿易も日本海岸の韓国、北朝鮮、ロシアとの間で盛んで
ある。
これも最近の紙面を賑わしているが、「北朝鮮帰国者」の離日した港も新潟港で
あった。新潟港には彼らを待機させる為のバラックが建てられ、まるで収容所の
ようであった。現在は彼らに伴って渡った日本人妻の帰国が問題となっている。
さておき新潟空港の建物は近年建て替えられたばかりできれいだった。3階の
食堂街の中のそば屋で新潟名物「へぎそば」を夕食に頂く。「へぎ」とは器の事
を指している。そば自体は所謂「もりそば」であるが、量が多い。
へぎそば。これで2人前。勿論もっと増量も出来る。
夕食を済ませ、お腹も満足した時点でバスに乗り新潟駅へ。大荷物が重く、紐が
肩に食い込む。予約してあった駅前のビジネスホテルに投宿。部屋で服を脱ぐ
と、肩に赤い線がうっすらと写っていた。
9月3日 朝6時15分に起床。朝食を簡単に済ませ、7時過ぎにはチェックアウト。新潟駅前
正面口まで歩き、タクシーで佐渡汽船乗場へ向かう。途中設計ミスが原因なのか
急に連絡通路が崩落したコンベンションセンター、「朱鷺(トキ)メッセ」の横を通る。
見事に崩れており、今日も原因の調査なのかヘルメットをかぶった作業員や
技術者らしき人達が集まっていた。
新潟港佐渡汽船ターミナル。
佐渡汽船乗場までのタクシー代は1,000円で収まった。旅行会社で買った船車券
を窓口で乗船券に引き換える。8時丁度発の佐渡・両津行きジェッフォイルを予約
してある。
新潟→両津のジェットフォイルの乗船券。
出港時刻の10分前に改札開始。スーツ姿で決めたビジネスマンが多い。
ジェットフォイルは新潟と佐渡の中心都市、両津を1時間で結ぶ「海の特急」で
ある。料金は5,000円以上もするが、スピードには代えられない。

新潟〜両津を1時間で結ぶジェットフォイル。
ジェットフォイルはボーイング社が川崎重工と共同開発した技術で、飛行機の
ジェットエンジンを応用し、水中に翼を入れて船体を浮かす事によって高速の
航海を可能にしたものである。速度は時速80キロにも達するという。日本ではこの
佐渡汽船の他、JR九州が博多〜韓国釜山間の国際航路に、九州商船が鹿児島
〜種子島・屋久島間に導入している。他にも、香港〜マカオ間に頻発している事
で有名である。
新潟港は元々日本最長の河川である信濃川の河口に開けた港である。古くは
信濃川の舟運と北前船との結節点として、現在は日本海岸の貿易の拠点としてと
日本海岸随一の工業都市として栄えている。
乗客を乗せたジェットフォイルは始めは信濃川河口を静々と動き出す。右手には
先ず北海道・小樽と秋田、新潟、敦賀、舞鶴を結ぶ「現代の北前船」であるフェリー
が停泊しているのを横に見る。次に明日北朝鮮・元山から入港する「万景峰92号」
の停泊する予定の中央埠頭が見える。さすがにまだ右翼の街宣車は来ていない。
堤防が途切れ、信濃川から日本海に入る。水の色が全く違う。ジェットフォイルも
本格的に滑走を開始。船体が浮き上がる。すぐに最高速度の80キロに達した。
佐渡・両津港に到着。左に見えるのはフェリー。
1時間後、両津港に到着。先ず佐渡汽船のターミナル内にある「おけさ簡易郵便局」
で貯金。それから大荷物を引きずりレンタカー会社(マツダレンタカー)に行く。
本土と違って離島のレンタカー屋では手続に時間がかかる事が多い。今回も
カード払いを「予約センターからは現金払いとの連絡がきている。」と言って応じよう
としなかったり(そんな事客の知った事ではないので、結局カードで支払った。)、
観光案内を延々と聞かされたり、大手レンタカーでは常識のマイレージの登録を
「うちは直営店ではなく、委託されているだけだから。」と言って全然理解して
いなかったり(結局「新潟に問い合わせる。」と言う事で取り敢えず収まったが。)、
結局出発は10時になった。車は1300ccのデミオ。1人で運転するのだから十分
過ぎるほどである。
佐渡は意外と広い。面積は東京都23区の1.5倍。沖縄本島に次いで2番目に
大きい離島である。今回の目的は「佐渡島内全郵便局巡り」だが、全部で50ヶ所
以上もある。尚、昨今の市町村合併ブームの波はここにも波及しており、現在
島内全市町村が合併して、「佐渡市」として再出発する事が決定している。
先ずは南海岸を下る。簡易郵便局含め大体は大きい道路沿いだが中には
外れた所にある局もある。結構時間がかかる。途中寺泊行きフェリーが発着する
赤泊町で昼食。それから今までずっと海岸線沿いだったが局の配置の都合で内陸
に入る。カーブが続く山道である。地元の車も飛ばさず大人しく走っている。
13時半近くに島の南西端、直江津行きのフェリーが発着する小木町に到着。
通帳に押される判子が観光客(?)用に派手である。中には通帳の記帳スペースを
5欄も潰すものもあった。又、言葉が若干関西のアクセントになってきた。北前船
の時代は佐渡と最も繋がりが深かったのは物資の集散地、「天下の台所」大阪で
あった。江戸との繋がりは僅かに特産品の「金」だけだったと言っても過言では
ない。因みに小木町は「たらい舟」でも有名である。
それから佐渡島唯一の国道、350号線を東に向かう。国道は比較的整備されて
いる。さっきまで通ってきた県道はあちこちで工事をしていて、まことに走りにく
かった。島の中西部の真野町の真野郵便局で時間切れ。この町は「アルコール
共和国」と称し町興しをしている。1人辺りの日本酒の消費量が日本一の新潟県で、
真野町は更に消費量が高いのかどうかは定かではないが、酒屋は異常に多い。
又、既に通り過ぎたが真野町内の西三川では砂金取りが盛んである。
まだ時間があるので、一旦両津に向かう。途中コンビニを何軒か見かけた。全て
北関東を地盤とする「セーブオン」。カップ麺の主役も「日清やきそば弁当」から
まるか食品の「ペヤングソースやきそば」に変わった。
両津の市街地に入ってみる。アーケードがあるが人気は余りない。しかし国道を
走ると本土の大手系列を含め大きな「郊外型店舗」が並ぶ。「市街地の空洞化」
は本土も離島も関係なく地方都市では深刻な問題である。
今晩は真野町の北にある島の第2の拠点、佐和田町のYHに泊まるが、この辺の
国道沿いが最も郊外型店舗の進出が多い。「ミスタードーナッツ」や「モス
バーガー」さえある。しかしYHの周囲は静かな場所であった。
今週末に佐渡島でトライアスロン競争があるそうで、どこのYHでもその選手や
関係者受け入れでこれから大変だ、とYHの人がぽつりと言った。それにしても、
トライアスロン競争って、確か沖縄の宮古島でもやっていた筈。最近は「トライ
アスロン競争=離島の島興し」との図式が私の頭の中にある。
9月4日 朝7時半過ぎに起床。早速今日も「佐渡島全郵便局巡り」に出発。
佐渡内陸部の「国仲平野」の郵便局を今日は周る。結構密度が高いので今日は
結構多く周れる事だろう。内陸部の畑野郵便局から始める。車の調子は今日の
天気に比例するように快調であった。
佐渡島の物流の主役である国道50号線は交通量が結構多い。トラックも多い。
新潟から航送されたものかと見てみたら、殆どが地元のもののようであった。佐渡
は侮れない。途中メインの道から外れた郵便局も多数あり、道に迷う事もあった。

途中佐和田町で給油した際の伝票。手書きのガソリンの納品書など初めて見た。因みに
リッター単価は116円。
途中佐和田町で昼食。ロードサイド店が多く、皆広い駐車場を備えている。佐渡島
の北部海岸に面した相川町に入る。ここは佐渡金山と断崖絶壁が続く尖閣湾で
有名である。
この町内の姫津郵便局で今日は終わりにする。
時間に大分余裕があったので、ちょっと観光をしてみる。1つ目は金山を再現した
「佐渡金山」ともう1つは江戸時代に金山と天領(幕府直轄領)であった佐渡の行政
を司った「佐渡奉行所」。先ず先に奉行所に行ってみる。

再現された佐渡奉行所。
奉行所の建物は相次ぐ火事で焼失が相次ぎ、5回も立て直された。又、明治維新
後も行政の中心として使われてきたが1942年に不審火で焼失し、その後はずっと
地元相川中学校のグランドとして使われてきた。しかし10年程前に佐渡金山一帯
が国の史跡に指定され、文化庁からも再建を打診され、奉行所の中の「御役所」
が再建された。
御白州。
中は結構分かりやすく展示されており、事務員も親切に説明してくれた。奉行所に
付き物の現代の裁判所に相当する「御白州」もあったが、テレビの時代劇みたい
に露天ではなく、寒冷地だからかもしれないが「御白州」の周囲には板がこいが
されており、屋根も付いていた。これはテレビの「御白州」は江戸町奉行所をモデル
にしていて、江戸町奉行所は露天だったかもしれない、と事務員の方が説明して
くれた。

佐渡金山、坑道入口。





中では坑内作業が人形で再現されている。
次に佐渡金山へ。観光バスが何台も停まっている。江戸時代に掘り抜かれた約
400キロの坑道の内、宗太夫抗の数百メートルが開放されており、中には自動で
動く人形が当時の作業を再現している。多数の団体観光客が入っていく。私も
入っていく。坑道に入った途端ひやりと冷気が漂った。
2ヶ所の観光を終え、尖閣湾に面した佐渡ベルメールYHに投宿。フランス語で
「美しい海」と言う意味である。到着後早速衣類の洗濯をする。
9月5日 今日は佐渡島滞在最後の日。残る郵便局は10局。8時過ぎにYHを出発した。
今週末は「佐渡国際トライアスロン大会」が開かれる。さぞ島は賑わう事だろう。
昨日のドライブ中も結構練習している人達を見かけた。

尖閣湾。
今日は佐渡島の北部、「外海府」「内海府」沿いの県道を走り、郵便局を周る。
観光地である尖閣湾を通り過ぎ、道は急に悪くなる。2車線が1.5車線や1車線に
なったりする。それでもダンプカーやトラックや路線バスが通るので、運転には
細心の注意が必要とされる。
又、小木町と両津市との境界は山であり、海岸線沿いにありながら山越えと
なった。急カーブをゆっくりと走り、対向車に道を譲ったりする。海岸線は断崖絶壁
である。
郵便局もその本線沿いではなく、本線から細い道を入った集落の真ん中にある
場合が多く、1度は行き止まりに突き当たり、Uターンも出来ずにたまたま居
合わせた郵便配達員に郵便局の場所を教えて貰った上、途中までバックで運転
して貰ったりした。鷲崎郵便局の配達員の方に感謝します。
一番最後の白瀬郵便局には12時半頃に到着した。佐渡島内51ヶ所(簡易郵便局
含む)の郵便局を3日がかりで周り終わった。



佐渡空港。中には全国の離島空港に関する展示がされていた。又、BN-2アイランダ―機の
絵葉書なども売られていた。
両津市内で昼食を取り、残された時間に佐渡空港に行く。新潟から佐渡への交通
機関と言えば真っ先に佐渡汽船の「ジェットフォイル」が思い浮かぶが、1日4往復、
定員僅か9名のBN-2アイランダー機ながら飛行機も飛んでいる。空港にはたま
たま新潟からの飛行機が停まっていた。空港の建物自体は大変小さく、手荷物
検査、荷物の預かりなど全て手作業で行われ、定員9名では客室乗務員もいない
ので建物の中に救命胴衣の着用法が説明されてあった。
両津市立博物館。
両津市内のイカ干し風景。
次に「両津市立博物館」へ。佐渡、特に両津の産業の歴史が展示されていた。
佐渡は金山だけではなく、米を中心とする農業も漁業も盛んだった。地元の小学生
が見学に来ていた。
16時過ぎにレンタカーを返す。マイレージの手続も無事終わり、お土産屋の割引券
を貰って新潟行き客船ターミナルへ。お土産を少し買い、乗船待合室に。丁度17時
半発の最終のジェットフォイルが出る所で、ビジネスマン達が次々と中に入って
いった。私は帰路は遅いながらも安いフェリー利用である。出港時刻は18時40分。
新潟までの所要時間2時間20分。
新潟名物、ソースカツ丼。
待ち時間に夕食。そばとカツ丼のセットだったが、カツ丼が新潟独自の「ソースカツ
丼」だった。これはコロッケ大のカツにソースを浸し、ご飯に載せると言うものである。
18時を過ぎると改札口に列が出来始めた。私も列に加わる。段々人数が多くなり、
折り返すような列になってきた。
両津→新潟のカーフェリーの乗船券。
18時20分頃改札開始。皆いい場所を求めて船内を右往左往している。私は奥
まった所に電源付きの場所を取った。やがて出港の合図のドラが鳴り、出港した。
航路は殆ど揺れず、快適な航海だった。残念だった事が1つ、丁度私の佐渡滞在中に
北朝鮮の「万景峰92号」が入出港し、現物が見られなかった。新聞では散々見たの
だが。
船内ではHP更新を少しした後、眠っていた。気が付いたら新潟港入港の放送が流れ
ていた。でも新潟港は河口に開けた港で、佐渡汽船の発着する埠頭は大分奥側に
あるのでまだ着岸まで20分ほどかかる。今朝まで「万景峰92号」が停泊していた中央
埠頭は今は何も残っていない。拉致被害者の抗議行動も出港時はなかったそうで
ある。



新潟港佐渡汽船桟橋に着岸後、ダッシュで新潟駅行きバス乗場に。それにしても、
乗っていた乗客の多さに改めて驚く。新潟駅行きのバスも2台が待っていた。2台とも
立客さえいる。



新潟地区のJR電車。新車も見られるが、115系が主流。
新潟からは新宿行き夜行快速「ムーンライトえちご」号で一旦東京に向かう。これは
「青春18切符」が1日分余っているのと、宿代を節約する為である。発車は23時
33分。駅前も飲み屋とコンビニしか開いていないので、大人しく待合室で待つ。
23時30分前後は新潟にとって終電の時刻なので、乗客が改札口に駆け込む姿を
多く見かける。
今晩の宿、快速ムーンライトえちご号、入線。
かつて「ムーンライトえちご」号は「急行型」の165系にリクライニングシートを換装して
走っていたが、経年が激しく、今年から「特急型」の489系に代った。6両編成で、
ホームには結構な待ち客がいた。
23時25分、村上から快速が到着、そのまま「ムーンライトえちご」号になる。私は
窓側の席だったが、隣にも女性が座った。少々気まずい。定刻に新潟駅を発車。
暫くして検札が来た後、眠る体制に入った。
「ムーンライトえちご」の指定席券。
9月6日 早朝4時30分の大宮で「ムーンライトえちご」を降りる。それから時間稼ぎの為
京浜東北線の始発で一旦赤羽に行く。一瞬だけ東京都に入り、高崎線の始発
普通電車で高崎方向に戻る。学生はじめ結構車内の座席は埋まっている。
高崎までずっと眠りっ放しであった。
高崎で朝食の駅弁「鳥めし弁当」を買い、乗り継いだ水上行き普通電車の車内
で頂く。この電車は学生やハイカーで立ち客も出る混雑振り。もっと悲惨だった
のは、水上に着いて上越国境越えの始発電車、長岡行きだった。電車は僅か
2両編成。それに地元の用務客や重装備のハイカーが乗ってくるのだから
たまらない。
私が乗った時には既に座席は埋まり、立ったが次の湯檜曽で席が空き、座る
事が出来た。電車は湯檜曽の手前で上越国境越えの新清水トンネルに入って
おり、次の土合駅などは地下深い所にあり、出口まで400メートルの階段を
上らなくてはならない。でもここで降りる乗客の殆どがハイカー。重装備で階段
を列をなして上っていく。
トンネルを抜け、新潟県に戻り六日町駅で下車。ここから第3セクター「北越急行」
が直江津の2つ手前の駅、犀方まで走っている。この路線はJR発足時未開通
だったが、東京から北陸方面へのバイパスとして期待出来る事から第3セクター
により建設が進められ、晴れて「ほくほく線」の愛称で開通したものである。


丁度六日町は現在放映中のNHK連続テレビ小説「こころ」の舞台にもなって
おり、駅には引退間近の165系を使った臨時快速「こころ」が停まっていた。
駅のあちこちにも『「こころ」の舞台、六日町にようこそ』との看板が並ぶ。
目的が目的だけに頻繁に上越新幹線に接続して越後湯沢から金沢まで特急
「はくたか」が走っている。線路も160キロ出せるようになっている。
私が乗るのは普通電車。2両編成でワンマン。地元の小学生などが乗っており、
結構座席は埋まっている。特急に伍して普通電車もかなりの速度で走る。



北越急行の車両。
六日町を出てすぐJR上越線と別れたほくほく線は暫く最も高値のコシヒカリを
産出する魚沼丘陵をかすめ、トンネルに入る。そのトンネルの長い事、長い事。
トンネルの中にも駅があったりして十日町に到着。南魚沼地域の拠点の1つで
あるが、上越線から外れていたので余り日の目を見なかった。ここには首都圏
のJR電車を動かす源となるJR東日本専用の発電所があり、毎朝のラッシュ時
にはフル稼働して支えている。
北越急行ほくほく線の乗車券。
十日町で電車交換の為暫く停車。再び走り出してまたもや長いトンネルに入る。
途中で交換設備があり、そこでも特急の通過待ちの為暫く停車する。
トンネルを抜けると今度は頸城平野に入り、やはり周囲は水田が多い。
犀方でJR信越本線に合流。直江津に到着。乗り換え案内は「信越線長野行き」
とか「北陸線糸魚川行き」と県外や他社へ行く電車になっていた。
直江津は北前船の行き交う以前から港町として栄え、現在でも北海道と九州
方面にフェリーが出ている物流の拠点である。又、北陸本線方面はJR西日本との
境界でもある。
長野から来た115系。
富山・金沢から来た419系。
小1時間長岡行きの電車を待ち、信越線を長岡へ辿る。途中柏崎までは日本海岸
を走るので日本海も見えるが、車内では殆ど眠りっ放しで気が付いた時には長岡
駅で車掌に起こされた。

「埼玉県内郵便局巡り」や仙台からの帰還、そして今回の1日を支えた「青春18きっぷ」
ここで駅弁を買い、次の新潟行きの車内で昼食として食べる。
長岡駅弁、牛めし。
新潟には15時55分に到着。幸い今回は車掌に起こされずに済んだ。新潟空港行き
のバスは16時30分発。駅前のバス乗場で暫し待機。
新潟市内のバスは新潟交通の独占であるが、結構健闘している。本数も多いし、
最終も結構遅くまで走っている。又、昼間割引の「買物バスカード」があり、1,000円で
1,400円分使える上、同様のカードや回数券を発行している業者が適用時間を10時
から16時までとしているのに対し、新潟交通は17時まで、と1時間長い。バスの時刻
表や路線図も案内所で無料配布している。只難点は新潟駅前のバス停があちこち
に散らばっており分かりにくく、系統番号もあるにはあるが余り役に立っていない、
と言った点である。
16時30分発のバスに乗り込む。乗車時に運賃を払うシステムなので、「買物バス
カード」と普通のバスカードで支払う。丁度大阪行きに間に合う時間帯なので結構
混んでいる。

"Welcome to Niigata."
新潟空港に展示してあった漫画のキャラクター。新潟県は数々の漫画家を輩出している。
搭乗手続をして、空港の建物は到着時にあらかた見てしまっていたので早めに手
荷物検査場に入る。今度乗る福岡行きのJASは18時45分発。
時間があるので搭乗待合室でコンセントがある所に座り、パソコンをつないでメール
チェックとネットを見ていた。同属がいるもので、他にもコンセントにノートパソコンを
つないでいる人がいた。
出発時刻の18時45分には既に日が暮れていて新潟の上空にはうっすらと雲が立ち
込めていた。丁度上手い具合に到着便が集中し、離陸直前に少々待たされた。
離陸すると新潟市内を覆っていた雲を突き抜けたが既に日没後なので月しか見え
なかった。従来この路線はANAグループのエアーニッポンが1日3往復を維持して
いたが、ローカル路線な上、JASは後発組なので知名度が低いのか機内はガラガラ。
1時間半余り日本海上空を飛び、20時25分に福岡空港に到着。地下鉄で市内の
予約しておいたホテルに向かう。福岡空港は地下鉄が直接乗り入れているので
便利である。ホテルは中洲川端の駅前にあり、部屋に荷物を置いた後外出し、一蘭
中洲川端駅上店で夕食。土曜日の夜と言うだけあって周囲は賑やかであった。
一蘭ラーメン。最早首都圏でもかなりの人気がある。
9月7日 今日は1日福岡市内フリー。朝9時過ぎ起床とのんびりとして、11時のチェック
アウト時刻直前にホテルを出る。大荷物はホテルで預かって貰う。ちょっと中州
に寄ってから、北九州と下関に行ってみる。
特定料金の特急券。
博多から大分行きの特急で先ず小倉に向かう。車内で昼食として博多駅で
買った「かしわめし弁当」を頂く。何故か九州北部の主だった駅では「かしわめし
弁当」がある。「かしわ」とはご存知かと思うが鶏肉の事である。全国的に
見ても「鶏めし弁当」は人気が高い。首都圏では高崎駅の「鳥めし弁当」が有名
である。
かしわめし。一番有名なのが北九州市の折尾駅のものである。
小倉まで30分余り。自由席は立ち客が出るほどの混雑。JR九州は九州全土を
くまなく網羅している高速バスに対抗して採算度外視とも言える回数券タイプの
割引切符「2枚きっぷ」と「4枚きっぷ」を出している。それのお陰でJR九州内は
特急に気軽に乗る人が多い。私の博多〜小倉間の特急券代も「特定特急券」と
言う名で割引されており、僅か500円である。JRの統一料金だと950円になる
筈であるが。
小倉まで乗った特急は「ソニック」と言う。ロボットのような特徴のある前面をして
おり、車内もミッキーマウスの耳のような座席の形をしていたり、広いフリー
スペースを取っていたり、とにかく派手、且つ快適である。九州は前述の通り
高速バスとの激烈な競争がある。それのなせる業であろうか。
「武蔵」にあやかった臨時快速。



車体には巌流島の武蔵・小次郎の決闘が描かれている。
駅構内にも巌流島の決闘が再現されている。
小倉で普通電車に乗り換え、関門トンネルを抜けて下関に。丁度NHKの大河
ドラマ「武蔵」にあやかって今は懐かしのキハ181系を使用した広島行きの臨時
快速が出る所だった。側面には巌流島での佐々木小次郎との対戦が描かれて
いた。巌流島は関門海峡にあり、下関市と対岸の北九州市はこれを機に観光
キャンペーンを張っている。宮本武蔵の生誕地と言われている岡山県大原町
共々JR西日本の領域である。JR西日本はかなりの胸算用を弾いているに違い
ない。

下関と韓国・釜山は毎日フェリーで結ばれている。在日韓国・朝鮮人も多く住んでいる。
こうしたハングル標記も自然なのが港町、下関である。
山陰線の列車。
山陽線の電車。
再び関門海峡を越え、小倉へ戻る。駅前の閉鎖したそごうの跡地は伊勢丹との
話がまとまり、来年小倉伊勢丹として再出発する事になった。今まで100万都市
の玄関口としては悲惨な姿を曝していただけに、朗報である。ここから福岡まで
西鉄高速バスで戻る。この路線もJRとの競争の為運賃を1,000円に値下げした。
時間は少々かかるが、JRの普通・快速の運賃より安い上、福岡の繁華街で
ある天神に直行するので人気が高い。
20時半過ぎにホテルに戻り、大荷物を引き取る。量が多いので24時間開いて
いる福岡中央郵便局の「ゆうゆう窓口」で小包にして出す。それから一蘭ラーメン
で夕食を取り、西鉄天神バスセンターへ。22時半を過ぎていたが、まだ各方面
の最終高速バスが出ている。長崎・熊本・日田等々。九州の高速バスサービス
は本当に充実している。
私が乗るのは23時半発の鹿児島行き夜行高速バスである。来たのは鹿児島の
南国交通の車両で、3列座席。座席もかなり傾き、簡単に眠りに落ちた。
9月8日 5時半頃高速道路を出た時点で車内の電気が点り、間もなく西鹿児島駅前に
着く旨案内放送があった。西鹿児島駅前で乗客の大半が下車。残ったのは私
を含めて3人。それから鹿児島随一の繁華街、天文館で2人が下車。終点の
いずろ高速バスターミナルに到着した頃には私1人しか残っていなかった。
鹿児島に到着した夜行高速バス。


早朝の鹿児島。正面の建物は鹿児島の老舗、山形屋デパート。

九州新幹線の建設が進む西鹿児島駅。新幹線開業後は「鹿児島中央駅」に改名予定。
それから独り市電の始発に乗り、一旦西鹿児島駅前に戻り、開いたばかりの
キヨスクで新聞と朝食の駅弁「とんこつ弁当」を購入。(「とんこつ」とは所謂
ラーメンの「とんこつスープ」とは違う。詳しくは私の「2003年6月の日記」、6月
22日〜24日の徳之島滞在時の日記を参照の事。)
とんこつ弁当
それから駅前の南国殖産ビルにある鹿児島空港行きバス乗場からバスに
乗る。鹿児島は2大地方財閥が支えている。1つはバス会社「鹿児島交通」と
「林田バス」の運営を中心にリゾートホテルや不動産事業など手広く営む
「いわさきコーポレーション」、もう1つはバス会社「南国交通」の運営を中心に
ガソリンスタンドや車用品店などの主に流通事業を営む「南国殖産グループ」。
「いわさきコーポレーション」は社長が慶応出身の3代目でしょっちゅう天文館
の飲み屋で酔っ払って「俺は慶応出身なんだ!!」などと年配の役員を怒鳴り
つけたりしていて評判は余りよくない、社員も威張っているのが多い上、組合
が強くバス車内でいつもラジオを聴きながら運転している、との或る地元筋の
談。
対して「南国殖産」系は社長も礼儀正しく、社風もしっかりとしていてバス運転
手からガソリンスタンドのバイトに至るまで評判がいい、との或る地元筋の談。
幸い今回の福岡→鹿児島の夜行バスも空港行きのバスも南国交通だった。
空港行きバスは結構混んでいた。鹿児島空港は離島路線を中心に朝7時代
から便がある上、市街地から遠いので朝6時代のバスでも混んでいる訳で
ある。車内で「とんこつ弁当」を食べ、残りの空港までの道中を殆ど睡眠に
費やす。
JAL/JAS統合後の新塗装に塗られたJASのMD-90。
JAS時代の黒澤明デザイン塗装のMD-90。
JAS塗装のMD-87。
離島路線に活躍するJACのSAAB-340。

そして、YS-11。北海道からYSが消えた今、鹿児島はYS最後の牙城である。
私が乗る与論島行きは10時40分発で余裕があるが、他の離島行きは7時代
から次々と飛び立っている。搭乗手続をして大荷物を預けて暫しパソコンで
インターネットをする。与論島ではPHSが通じないので明日鹿児島に帰ってくる
まで暫くお預けである。

与論島行きのYS-11に乗り込む。
与論島行きの日本エアコミューター(JAC)はYS-11を使用している。距離は約
600キロとYS-11の現行の就航路線の中では最も長い。所要時間は1時間
50分。昔は羽田から北海道・女満別まで片道3時間以上の路線も飛んでいた。
出発準備完了。地上係員が手を振る。


離陸。
観光客や地元の用務客を乗せ結構乗客が乗っている。滑走路が離着陸で
混んでいて、少し離陸が遅れた。機内放送では飛行時間が1時間45分である
由。余りにも長いので機内では飲物のサービスもあった。離陸後暫くして鹿児島
市街上空を飛び、私の席から桜島が見えた。
桜島上空。
鹿児島市街地上空。
それから右手に屋久島、左手に種子島が見える。そしてトカラ列島が見えて
きた。そして奄美大島、徳之島と離島が次々と見えてくる。そして12時40分頃に
珊瑚礁に囲まれた小さな島、与論島が見え、すぐに着陸。ドアが開くと南国の
湿った空気がもわっと入ってくる。暑い!!30度は確実に超えている。
トカラ列島上空。
与論島に近づく。
いよいよ着陸。

与論島は同じ奄美諸島の沖永良部島よりも沖縄本島の最北端、辺土岬の方が
近い。飛行機も小型機ながら鹿児島行きよりも沖縄・那覇行きの方が多く、奄美
大島行きの直行便はない。空港は小さく、手荷物受け取りも回転式のベルト
コンベアではなく、台に次々と手荷物が置かれる。

与論空港到着。



手荷物が引き渡される。
空港からレンタカーを借りる。軽自動車で島を回る。島内の郵便局は3ヶ所。
1時間も経たない内に郵便局巡りは終る。それからはのろのろと車を走らせ、
海岸に行ったり、資料館に入ったりした。カーラジオをつけると琉球放送が聴こ
える。(沖縄のもう1つのラジオ局、「ラジオ沖縄」は本島北部ではFM波になる)
対岸は沖縄本島。
南側の海岸からはうっすらと沖縄本島が見えた。1972年5月14日まではこの
間に見えない国境線が引かれていた。与論島自体も他の奄美諸島と同様に
1953年まで終戦後8年間、米軍統治下に置かれていて、本土との往来は
禁じられていた。今年は奄美諸島の本土復帰50周年に当たる。奄美大島の
名瀬で発行されている「南海日日新聞」と「大島新聞」、何れも今日付けの1面
は本土復帰50周年を記念して復帰運動を再現したデモ行進の写真が載って
いた。
「星の砂」で有名な百合ヶ浜入口。

海岸近くの喫茶店で遅めの昼食を取る。「スープスパゲティー」を注文したの
だが、これが丼に入っていて尚且つスープが丼一杯に入った代物。スープには
キノコやらニンニクやら鷹の爪やらが入っている。うどんが似合いそうな感じ
だが、麺は紛れもなくスパゲティーだった。ちょっと目には珍しいものであった。

これが「スープスパゲティー」。何だかうどんみたい。実際に箸が出てきて、箸で食べた。
この離島の新聞事情をちょっと調べてみた。この島で購読出来る新聞は大別
して3種類ある。
@ 本土紙(鹿児島の県紙「南日本新聞」含む。)
全て鹿児島から空輸。新聞販売店到着は大体13時半頃。
A 奄美大島発行の新聞(「南海日日新聞」と「大島新聞」)
全て奄美大島の名瀬から船で輸送。但し時化の心配がある時は空輸。
新聞販売店到着は大体16時から17時頃。
B 沖縄発行の新聞(「琉球新報」「沖縄タイムス」「新報スポニチ」「日刊スポーツ
沖縄版」)
全て那覇から船で輸送。船が欠航の時は翌日に繰り延べ。「琉球新報」「沖縄
タイムス」は前日付け夕刊と共に輸送。新聞販売店到着は大体13時頃。
配達は全てがまとまってからで、夕方になる。与論島にはコンビニ「アイショップ」
が1ヶ所ある(22時で閉まってしまう。)が、新聞は売っていない。新聞を入手出来る
場所は島の中心部、茶花地区の書店1ヶ所(「大島新聞」は別の販売店。)のみで
ある。
茶花のビジネスホテルを予約しておいたが、フロントには誰もいない。そこでもう
1回りしてホテルに戻ってフロントで声をかけると上半身裸の男が出てきた。前に
電話で予約している旨話すと、「嗚呼、そんな事全然聞いていなかったよ。」と
一言。このいい加減さが南国ならではの気だるい雰囲気を倍増させる。
9月9日 先月31日以来の長かった旅行も今日でピリオドを打つ。午前中11時頃に車を
返すまでは特に何もする事はなく、何となく島を一周してしまう。与論島は島内
一周の県道を回っても15キロ前後しかない。小さそうに見えるが沖縄からの
距離が近い事が幸いしてよく沖縄旅行のオプショナルツアーに与論島観光が
組み込まれていたりして、訪れた観光客の数は恐らく奄美諸島中最も多いの
ではないかと思う。又、20年前からギリシャのミコノス市と姉妹協定を結び、島内
の一部をギリシャ地中海岸風に白く塗ったりしている。

「祝、奄美群島日本復帰50周年、町制施行40周年、パナウル王国建国20周年。」の垂幕
がかかっている与論町役場。
ギリシャ風に白く塗られた与論郵便局。
その上、一時期地域興しに「独立国」を名乗る事が流行ったが、与論島もその波
に乗り「ヨロンパナウル王国」と銘打って現在でも続けている。現在でも観光協会
などで「パスポート」を売っている。
私は亡き父、兄、そして母と共に家族旅行で沖縄のオプショナルツアーで与論島
を20年前に訪れた事がある。当時は「ヨロンパナウル王国」の黎明期で、地域
通貨まで作ってその宣伝に努めていた。現在は観光客の入りは往時程では
なく、落ち着いているとの事。

離島ならではの高料金。ガソリン1リッター当り134円也。因みに私の自宅の近所はリッター
当り97円が相場。
返したレンタカーでそのまま空港まで送って貰い、搭乗手続。12時55分発のYS
使用の鹿児島行きで鹿児島空港へ行き、一旦インターバルを市内に出て過ごし、
最終便で帰京する予定である。
沖永良部島経由奄美大島行きJAC、SAAB-340。
沖永良部島行きが離陸していった。
鹿児島行きへの積み込みを待つ郵便小包。
鹿児島からYS-11が到着。
鹿児島行きに乗り込む。

鹿児島行き出発直前に沖縄・那覇から琉球エアコミューターのDHC-8が到着。


離陸。
鹿児島からのYS-11が遅れてしまい、出発も15分ほど遅れてしまった。YS-11は
離陸して島の外周を旋回してから北上を始めた。お陰で島の全景が見られたが、
生憎フイルムが終ってしまい、交換する暇もなく飛行機は島を離れてしまった。
徳之島上空。
薩摩半島先端が見えてきた。
喜入の石油備蓄基地上空。
鹿児島市街が見えてきた。
桜島上空。
鹿児島空港上空。


鹿児島空港到着。
暫くして沖永良部島が見えた他はずっと本土・薩摩半島上空までずっと海上を
飛び、鹿児島空港には15時に到着した。与論島は日差しがきつかったが、
鹿児島も日差しが強い。
市内行きのバスに乗る。丁度到着便が集中したのか満員で、補助席も埋まって
しまった。高速道路を走り鹿児島市内へ。鹿児島市街地から空港までバスで約
50分、バス運賃は1,200円もする。事情が事情とは言え、ちょっと、と思う人は
少なくないのでは。
市街地で小1時間を過ごし、17時過ぎのバスで空港へ向かう。日差しは大分
和らいできた。そして帰宅ラッシュが始まり、道路が渋滞を始めた。東京行きの
最終便は19時30分発、と余裕があるがちょっと不安になってくる。
バスの車内ではHPの更新をして過ごし、18時半頃空港に到着。搭乗手続は
既に与論島で済ませているので、搭乗券を見せて手荷物検査。搭乗待合室で
テレビを見ていると、丁度台風14号の情報をやっていた。台風は鹿児島県や
奄美諸島には時化以外直接の影響はないが、沖縄県はかなりの影響が
出そうである。
19時30分発のJAS東京行き最終便はスーパーシートを含め本当に満席。
その上気流が悪く、シートベルトをしていないと座席から吹き飛ばされる事
必至のエアーポケットもあり、恐怖感さえ感じたが東京に近づくにつれ揺れは
収まってきた。定刻より15分ほど遅れ、21時半近くに羽田に到着。東京も
与論島ほどではないが湿度が高い。
民間駐車場で預けていた車を引き取るが、旅行中東京で大雨が降ったのか
大分車が汚れてしまっていた。明日にでも洗車しなくては。帰宅途中で牛丼
屋に寄り、夕食。帰宅はほぼ23時になっていた。すぐに旅行中に出した小包を
開けたり、荷物の整理を始める。気が付いたら3時を過ぎていた。
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